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東京地方裁判所 昭和33年(ヨ)4086号 判決

申請人 川上市郎 外五名

被申請人 大和交通株式会社

主文

本件仮処分申請を却下する。

申請費用は申請人等の負担とする。

事実

第一申立

申請代理人は「被申請人は申請人等を従業員として取扱わなければならない」との判決を求め、被申請代理人は申請却下の判決を求めた。

第二申請の理由

申請代理人は次のように陳述した。

一  申請人川上市郎は昭和二十九年二月十二日、申請人遠藤有は昭和三十年二月二十三日、申請人高橋初美は昭和三十一年五月三十日、申請人永瀬久司は同年十一月四日、申請人山本茂は昭和三十二年五月二十二日、申請人田辺茂男は同年六月二十八日それぞれ被申請人(以下、会社という)に雇われ、いずれもタクシー業を営む会社の自動車運転手として勤務していたものであるが、会社は昭和三十三年八月十一日その構内に申請人等の辞表を受理する旨を掲示し次で同月十三日書面を以て申請人等に対し辞表を受理するにつき五日以内に退職の手続をなすべき旨を通告し、その後は申請人等を従業員として取扱わずその就労のみならず会社構内えの立入をも拒否するに至つた。

二  しかしながら申請人等はいずれも会社に退職の意思表示をなしたことがなく従つて会社との間に依然雇傭関係を有するものである。

三  よつて会社を相手に雇傭関係存在確認の訴を提起すべく準備中であるが、申請人等はなに分にも会社から支給される賃金を唯一の収入として生活しているものであるため、その収入を断たれた今日著しく窮乏し財産上、精神上とも甚大な損害を蒙りつつあるのみならず、会社の従業員が組織する大和交通労働組合(以下、組合という)の組合員で組合活動の中心人物たる申請人等がその活動を封じられていたのでは組合は会社の積極的な切崩策により遠からず壊滅しその団結に回復し難い打撃を蒙ることが必定であるから、本案判決確定までに申請人等個人並びに組合に生じる虞のある著しい損害を避けるため本件仮処分申請に及んだ。

第三答弁及び抗弁

被申請代理人は次のように陳述した。

(答弁)

一  申請の理由一の事実は認める。同三の事実は申請人等が組合の組合員である点を除きこれを否認する。

(抗弁)

二 会社と申請人等との間においては昭和三十三年八月十二日合意解約が成立し、これによつて雇傭関係が終了した。

三 その経緯は次のとおりである。組合は会社に対する闘争のため同年七月二十五日ストライキを開始したが、これに先立ち会社所有の自動車車体検査証(以下、車検という)及びエンヂン・キイ(以下、キイという)を横奪した。これがため同年八月八日会社と口頭の協定を結んで紛争を解決するためにあたり特に右車検、キイ奪取の責任者たる申請人六名及び春木雅英の退職届を寿原正一に預託しその提出を同人に一任する、すなわち退職の意思表示を同人の裁量によつて会社に伝達することを依頼する趣旨の条項を受諾した。そこで申請人等は右協定の趣旨を体し車検、キイ奪取の責任を負つて退職することとし右協定妥結の席上において各自があらかじめ作成した退職届を寿原正一に託するため関東旅客自動車労働組合同盟(以下、関東同盟という)の副執行委員長小坂純郎を介して右協定の仲介者たる内山正寄に手交した。しかして右退職届は同月十一日同人から寿原正一に手交されたが、同人は右協定締結に立会した関係から委託の趣旨を篤と承知のうえ翌十二日右退職届を会社に提出して申請人等の退職の意思表示を伝達した。一方会社はこれよりさき右退職届がいまだ内山正寄の手中にあつた同月十日申請人等からやがて受領すべき退職の申出を承諾する旨を、会社の取締役社長山岸敬明から組合の正副執行委員長たる申請人川上市郎、同遠藤有を通じ申請人全員に申渡した。従つて右退職届を会社が受領すると同時に雇傭関係の合意解約が成立したものである。なお会社が右申渡をなした当時申請人等にはなんら異存がなかつたが会社は念のため申請人等自認のように同月十三日書面を以て申請人等に対し退職の申出を承諾する旨を通告した。

四 ちなみに会社と組合との間に成立した前記協定の内容は退職届に関する条項を除けば

1  組合はその保管にかかる会社の車検、キイを即時会社に返還する外組合旗その他争議に使用した物件を即時撤去すること

2  会社は組合結成の責任を問わないこと

3  組合は申請人六名及び春木雅英を除く組合員全員を同月十日から就労させ、会社はこれを承認すること

4  会社は申請人六名及び春木雅英の就労をその退職に関する処置決定まで差止め、組合はこれを承認すること

5  協定内容は公表しないこと

というのであつた。

第四抗弁に対する答弁及び再抗弁

申請代理人は次のように陳述した。

(抗弁に対する反駁)

一  被申請人の抗弁として記載の第三の二の事実は否認する。同三の事実中申請人等が被申請人主張日時会社と組合との協定の趣旨に従い各自作成の退職届を関東同盟の副執行委員長小坂純郎を介して右協定の仲介者たる内山正寄に手交したことは認める。しかしながら右協定中申請人六名及び春木雅英の退職届に関する条項は会社の面目を建てるため組合と会社とが紛争の終局的解決につき団体交渉中見せ証文として形式上内山正寄に預託する趣旨であり、右内山も右協定の趣旨を確認し紛争が解決したときは適当な時期に又解決に至らなかつたときは直ちに、すなわち、さきゆきいずれにしても右退職届を本人に返却することを約するところがあつたのである。されば申請人等の退職届が授受されたのは見せ証文としての意味しかないのであつて、もとより退職の意思表示の伝達を依頼したものではなく、この点に関する被申請人等の主張は全く事実に反する。なお申請人六名及び春木雅英に車検、キイ奪取の責任があること、会社が前記のように書面を以てした以外に申請人等の退職申出を承諾する旨の意思表示をなしたことは否認する。同四の事実は真実に吻合しない。組合と会社との間に成立した協定は団体交渉によつて紛争の終局的解決を図るため妥結したものであつて退職届に関する条項の外に

1 組合はその保管にかかる会社の車検、キイを内山正寄に預託すること(同人は紛争解決次第会社に返還し又団体交渉の決裂等により紛争が解決に至らなかつたときは組合に返還することを約した。)

2 会社は護国団員その他警備員を退去させ掲示を撤去し、組合は応援団体員を退去させ組合旗及び掲示を撤去すること

3 会社は組合の組合員に対する配車上の差別待遇を中止し組合は申請人等を含む組合員全員を昭和三十三年八月九日から就労させ、その限度で労使関係を同年七月二十四日以前の状態に戻すこと

4 会社は紛争解決と同時に同年七月分の給料を全額支払うこと

5 組合は互幸会(後出)とともに同年八月九日解散のうえ統一大会を開催すること

6 当時提起中の告訴、訴訟は組合及び会社の双方とも取下げること

という内容であつた。

(再抗弁―その一)

二  仮に申請人等の退職届が被申請人主張のように会社に提出された事実が存し且つその事実を以て退職の意思表示が伝達されたものと解する外ないとしても右意思表示は前記協定の趣旨に従つて発せられたものである以上退職の外に真意が存し会社もこれを知つていたことは明らかであつて、いわゆる心裡留保に外ならないから無効である。

(再抗弁―その二)

三  しかして又仮に会社がその主張のように申請人等の退職届を受領するに先立ち申請人等に対しその退職申出を承諾する旨の意思表示をなした事実が存したとしても会社は申請人等の正当な組合活動の故に事を構えて申請人等に退職の申出をさせこれを承諾したものであつて、そのなすところは不当労働行為を構成することが明らかであるから、これによつて成立した合意解雇は無効である。

四  会社の差別待遇の意思は次の事情から看取するに十分である。

1 (申請人等の組合における地位)

申請人等はいずれも組合に加入しその中心人物として積極的に組合活動をなしていたものであつて、中でも申請人川上市郎は組合の執行委員長、申請人遠藤有は同副執行委員長、申請人山本茂は同書記長であつた。

2 (前記協定成立に至るまでの経緯―会社の組合に対する支配介入)

イ 会社には従前互幸会という親睦団体があるだけで労働組合がなかつたので、その従業員間に労働組合を結成して労働条件の改善向上を図る気運が生じ、その結果昭和三十三年七月十三日従業員六十一名中五十七名が加入して組合を結成した。しかして互幸会は右同日規約に従つて解散した。

ロ ところが会社は組合を嫌忌しその弾圧のためあらゆる手段を講じた。例えば

a 同月二十四日乗車勤務から下番した組合員及び乗車勤務に上番せんとする組合員に対しそれぞれ組合脱退を強要し更には営業を中止すると称して上番者の就労を認めなかつたが、一方では同日以降新聞広告を以て運転手を募集し応募者の面接を行つた。

b 同月二十五日非組合員には同月分の給料を支払いながら、組合員にはその支払を一時停止する旨を告示のうえ、これが支払をしなかつた。

c 同月二十八日互幸会の名義を以て組合員の家許に宛て組合脱退の勧告を求める趣旨の文書を送付した。

ハ 組合はその間に差別待遇の撤廃を要求して会社に団体交渉を申入れ同月二十五日会社の支配介入に備えるため組合員から会社の車検、キイを収受し又仮眠所を便宜組合事務所に使用し、これに籠城してストライキに入つた。

ニ これに対し会社は少くとも当初は組合の存立ないし交渉資格に批難を向けて理由なく団体交渉を拒否し又再三組合に対し仮眠所の明渡を要求し同年八月四日仮眠所と外部との出入を断つため、その道路沿いの周辺に鉄線でバリケートを繞らし同月七日組合との団体交渉中右仮眠所を実力で取毀す旨を表明し同月八日には、かねて警備員と称して雇入れた護国団員四十五名を仮眠所に侵入させた。

ホ これがため組合は組合員のスクラムを以て対抗するのを余儀なくされたが、たまたま組合支援に来合せていた関東同盟のブロツク共闘会議オルグ小林望が流血を怖れ組合のため護国団の責任者と交渉し仮眠所を組合員と護国団員との双方が分割使用すべき旨の協定を結んで事態を収拾した。

ヘ ところが会社はその直後部外者が組合応援のため会社構内に立入ることを禁止する旨を告示した。

ト 以上のように会社の組合運営に対する支配介入は度重ねて行われたが、護国団の争議介入に対する世上の非難が高まつたこともあつて右同日にわかに労使間にひとまず争議行為を中絶する気運が生じ前記協定の締結をみるに至つたのである。

第五再抗弁に対する答弁

被申請代理人は次のように陳述した。

一  申請人等の再抗弁として記載の第四の二、三の事実はいずれも否認する。

二  同四の事実についてはその1の事実は認める。その2の事実は会社が組合運営に支配介入したという趣旨においてはすべてこれを否認する。しかしてそのイの事実中互幸会なる団体の存在、組合結成の事実は認めるが、互幸会は会社の従業員で組織する大和交通株式会社運転従業員組合という労働組合の通称であつて申請人等主張のように単なる親睦団体ではない。互幸会が解散したことは否認する。ロの事実はそのaの事実中会社が新聞広告を以て運転手を募集し面接を行つたこと及びbの事実を認める外その余の事実を否認する。ハの事実は組合が会社に差別待遇の撤廃を要求して団体交渉を申入れたこと、組合員から会社の車検、キイを収受したのが会社の支配介入を避けたものであることを除き、これを認める。ニの事実中会社が仮眠所の周辺にバリケードを繞らしたこと、申請人等主張日時会社と組合との間に団体交渉が行われたことは認めるが、護国団員が仮眠所に侵入したことは不知、その余の事実は否認する。ホの事実は不知。ヘ及びトの事実は否認する。

第六疎明〈省略〉

理由

一、会社と申請人等との間に雇傭関係が成立した点に関する申請人等主張第二の一の事実は当事者間に争がない。

二、しかるところ申請人等が昭和三十三年八月八日各自作成の退職届を関東同盟の副執行委員長小坂純郎を介して内山正寄に交付したことは当事者間が争がなく、証人寿原正一の証言、被申請会社代表者山岸敬明本人尋問の結果(但し後記採用しない部分を除く)竝びに右本人の供述により真正に成立したものと認める乙第一号証、同第三十九号証によれば右退職届はその後内山正寄から寿原正一が受領し同月十二日同人から会社に提出されたことが一応認められ、退職届提出の日時に関する山岸本人の供述部分は採用し難く他に右認定を左右するに足る疏明はない。

三、申請人等は右退職届の授受は会社に対する見せ証文としての意味しかないのであつて、もとより退職の意思表示をなしたものではなく、仮にその意思表示をなしたものと解されるとしても退職の外に真意が存し会社もこれを知つていたものである旨を主張するので考えてみる。

組合が会社に対する斗争のため同年七月二十五日以降ストライキを行い越えて同年八月八日会社との間において争議解決のため口頭の協定を結んだが、その際右協定の一部をなしていた申請人六名及び春木雅英の退職届に関する条項の趣旨を体して右退職届が授受されたものであることは当事者間に争がない。

そこで前記争点の判断に必要な範囲で右協定の内容を確定するため先ずその成立に至るまでの経緯竝びにその直後の事情を辿つてみると成立に争のない甲第十号証、乙第二、三号証、同第五号証、同第九ないし第十三号証、同第十五号証、同第二十五号証、証人小林望の証言により成立の真正を認める甲第九号証(但し後記採用しない部分を除く)、証人寿原正一の証言により成立の真正を認める乙第三十二号証竝びに右各証言、弁論の全趣旨により成立の真正を認める甲第五号証、同第七号証(但し後記採用しない部分を除く)竝びに申請人川上市郎本人尋問の結果(第一回)、前出乙第一号証、同第三十九号証の本文の部分竝びに被申請会社代表者山岸敬明本人尋問の結果、右乙第一号証により会社作成の告訴状の控たることが一応認められる乙第二十四号証、証人金良清一の証言を綜合して大要次のような事実が一応認められる。

1  会社はタクシー業を営み申請人等はその自動車運転手として勤務していたものであるが(以上は当事者間に争がない。)、従前会社の自動車運転手は大和交通株式会社運転従業員組合互幸会という労働組合を組織し会社との間にユニオン・シヨツプ約款竝びに唯一交渉団体約款を備えた包括的労働協約を結んでいた。(互幸会が単なる親睦団体であるという申請人等の主張は根拠がない。)ところが、その組合員の間に互幸会を解組して組合活動を活発化しようという気運が生じ昭和三十三年七月十三日会社の従業員六十一名中申請人六名及び春木雅英を含む五十四名を糾合してあらたに組合(大和交通労働組合)を結成して役員を選出し申請人川上市郎が執行委員長、申請人遠藤有が副執行委員長、申請人山本茂が書記長に各就任した。(組合の結成及び役員選任の事実は当事者間に争がない。)しかして会社は同月十五日組合からその旨の通知に接したのでその後組合の実態確認等のためその執行部と種々折衝するところがあつたが結局互幸会との労働協約上ユニオン・シヨツプ約款竝びに唯一交渉団体約款が存する以上(イ)組合を交渉団体として承認すべきではなく又(ロ)組合に加入した従業員については互幸会を脱退したものとして雇傭関係を終了さすべきであるとの結論に達し同月二十一日組合に右(イ)の意向を示し次で右(ロ)の意向に基き同月二十四日会社の従業員に組合の組合員である限り乗車勤務を許さない旨を告げた。そこで組合は会社の差別待遇撤廃を実現するため直ちに勤務非番の組合員だけで協議決定したところに基き会社に対し翌二十五日午前八時から団体交渉をなすべく申入れ次で右同日早朝乗車勤務交替に際し下番せんとする組合員から会社の営業用自動車二十五台中二十四台の車検、キイを引上げてこれに対する会社の管理を排し且つ上番せんとする組合員に就労を罷めて会社の仮眠所に待機させたうえ同日中再三会社に団体交渉の開催を促した。(組合が会社の車検、キイを組合員から引上げた事実は当事者間に争がない。)しかし会社はそのつど車検、キイの返還を要求すると同時にその返還がない限り団体交渉にも応じ難い旨を回答し更には事態収拾まで同月分の賃金の支払を停止する旨を社内に掲示して給料支払日たる右同日から実行に移した。これがため組合の組合員は、そのまま会社の仮眠所に籠城して前記のようにストライキに入つたのである。(組合員が仮眠所に籠城した事実は当事者間に争がない。)

2  しかして組合は右同日中東京都地方労働委員会に争議斡旋の申請をなすとともに所轄労働基準監督署に会社の労働基準法違反(賃金不払)の申告をなしたが翌二十六日には会社に団体交渉を要求して、これを拒否されたので、その頃会社を相手取り東京地方裁判所に団体交渉の実施を命じる仮処分の申請をなした。一方会社は同月二十七日申請人六名及び春木雅英を車検、キイ横奪の廉で深川警察署に告訴し次で組合員に対し社内の掲示を以て同月三十日及び同年八月一日の再度にわたり仮眠所からの退去を要求したが組合員が応じないので右同日中組合を家宅不退去の廉で右警察署に告訴した。これよりさき関東同盟は組合を支援するため同年七月二十五日以降中央本部の組織部長岡崎迪及びブロツク共斗会議のオルグ小林望を組合に派遣して斗争指導に当らせ更には組合から会社との交渉につき委任を受けて同月二十八日会社に団体交渉を要求したが同月三十日岡崎組織部長及び小林オルグから紛争解決の条件を会社に開陳するだけに終つた。しかして東京都地方労働委員会は、その間に事情聴取を行つたが同月三十一日斡旋成立の見込がないとして、その打切を労使双方に通告した。その後組合の組合員は同年八月二日会社の構内において組合旗、プラカードの類を押立てて示威運動をなし同月四日には支援団体と呼応して衆団行動に移る気配を示し会社が、これに対抗して警備員を増強し且つ会社の仮眠所の周辺にバリケードを繞らす事態が生じたが(会社がバリケードを設けた事実は当事者間に争がない。)、右同日東京地方裁判所において前記仮処分申請事件につき審訊が行われた際折衝の末会社は組合に対し同月六日午後団体交渉に応じることを約するに至つた。

3  そこで関東同盟は同月五日組合の加盟を承認のうえ組合の委任に基き副執行委員長小坂純郎及び書記長金良清一に会社との団体交渉に当らせることを決定するとともに会社に対し翌六日午後五時から団体交渉をなすべく申入れたが、小坂副執行委員長及び金良書記長は独自の考えに基き団体交渉を避けて政治的含蓄のある解決を図ることとし、たまたま争議斡旋に動き出した内山正寄(互幸会の往時の執行委員で当時会社と経営者団体の所属を同じくする共進自動車交通株式会社の取締役社長であつた。)の仲介を得て右同日午前中会社が所属する経営者団体たる国産自動車協会(以下、国自協という)の会長寿原正一と折衝に入つた。一方国自協の寿原会長は、これよりさき関東同盟の団体交渉申入直後会社から争議解決の委任を受けて右折衝に臨んだ。ところが、その中途において関東同盟傘下の支援団体員が大挙して会社の構内に立入ろうとして会社の警備員と衝突し負傷者が出る事態が生じたので寿原会長は関東同盟の態度に不信を抱き政治的折衝の続行を拒否した。さような経緯があつて右同日午後開催予定の団体交渉は翌七日に延期して行われたが労使双方とも自己の争議態勢の維持強化を主張して譲らなかつたため結局決裂に終つた。そこで関東同盟の小坂副執行委員長及び金良書記長は政治的折衝による早期解決に望をかけ右同日中国自協の寿原会長にこれが再開を申入れてその諒解を取付け翌八日午前九時頃内山正寄を介して寿原会長から会社側の解決条件の提示を受けた。あたかも、その頃護国団なる団体の所属員約五十名が寿原会長の指令を仰いで会社構内の警備に就き仮眠所から組合の組合員を立退かせにかかり組合員がスクラムを組んで対抗せんとしたので事態が憂慮され武装警官が出動して警戒に当り又報道関係者が詰めかけて注目するに至つたが折柄組合の支援に来合せていた関東同盟の小林オルグが護国団の責任者と交渉し仮眠所を組合と護国団とが分割して使用すべき旨の協定を結び直ちに、これが実行されたため事なきを得た。さような情勢のもとにおいて関東同盟の執行部は同日午後三時頃から組合の執行部を加えて会社側提示の解決条件につき討議をなした結果これを受諾することを決定した。そこで関東同盟の小坂副執行委員長及び金良書記長は直ちに内山正寄の立会を得て国自協の寿原会長との間において右解決条件の再確認をなしたうえ同日午後六時頃から開催された組合の臨時大会において右解決条件を討議にかけ、これが受諾につき当時の組合員四十六名(外八名の者は既に組合を脱退していた)中出席者四十五名全員一致の承認を得た。しかして右解決条件中には会社は組合の結成竝びにその所属組合員たることを理由に不利益取扱をしない、但し、さきに車検、キイ横奪の責任者として警察署に告訴した申請人六名及び春木雅英から会社宛の退職届を提出させるという一項が存し関東同盟の執行部会議竝びに組合の臨時大会における討議の焦点となつたのであるが、かつて行われた新宿交通株式会社の労働争議の場合右会社の取締役社長であつた国自協の寿原会長が争議解決に基き違法争議の責任追求のため一部従業員から退職届を徴取しながら後にこれを不問に付したため結局解雇者が出なかつた事例があることが関東同盟の小坂副執行委員長から報告され討議の大勢をして斗争目標たる差別待遇撤廃を獲得して争議を収拾するためには退職届提出の条件を受諾するのも、やむを得ないという方向に赴かせる契機となつた。ともあれ組合の意思が会社提示の条件受諾に決したので関東同盟の小坂副執行委員長は直ちに、その旨を国自協の寿原会長に通告し又申請人六名及び春木雅英はその場で直ちに会社宛の退職届を作成し取纒めて申請人川上市郎に託した。かくて同日午後八時頃会社側からその取締役社長山岸敬明、国自協の寿原会長、組合側からその正副執行委員長たる申請人川上市郎、同遠藤有、関東同盟の小坂副執行委員長、金良書記長がそれぞれ出席、相会し上記のように政治的折衝によつて決定した条件を以て正式に口頭の協定を妥結しその際申請人六名及び春木雅英の退職届が授受されたのであるが、なお会社の車検、キイが組合から会社に返還された外、労使双方とも直ちに人的、物的の争議態勢を解き相互にこれを確認し、ここに労使の紛争は終局的に解決した。

4  そこで会社は翌九日さきに支払を停止した賃金を組合の組合員に支払い、組合の組合員は右同日休暇を与えられ翌十日から平常どおり就労した。なお同月九日発行の朝刊紙上に争議が会社の全面的敗北に終つた旨の記事竝びに関東同盟の金良書記長の談話が掲載されたので、会社は同月十一日右記事竝びに談話が真相と異る旨の声明を発した。

以上が認定される事実である。申請人等は右協定を以て争議を一時中止して団体交渉により紛争の解決を図るため暫定的に妥結したものであるとなし、あたかも右協定によつては紛争の終局的解決には至らなかつたもののように主張するが、後記排斥にかかる疏明を外にしてはこの点の前記認定を覆して申請人等の右主張を肯認するに足る疏明はない。

それでは右協定の内容は、いかなるものであつたか。申請人等は右協定の内容についても前段掲記のように協定成立後更に紛争の終局的解決のため団体交渉を行うべきことを前提としつつ(イ)右団体交渉中会社の面目を建てるため見せ証文として前記退職届を内山正寄に預託すること、(ロ)、右団体交渉中組合の保管にかかる会社の車検、キイを右内山に預託すること、(ハ)労使双方とも争議態勢を解除すること、(ニ)会社は組合の組合員に対する就労上の差別待遇を中止し組合はその組合員を協定成立の翌日から就労させ、その限度で労使関係を争議開始直前の状態に戻すこと、(ホ)会社は紛争解決と同時に、さきに支払停止中の賃金全額を支払うこと、(ヘ)組合は互幸会とともに協定成立の翌日解散のうえ統一大会を開催すること、(ト)当時提起中の訴訟、告訴は労使双方とも取下げることという内容であつた旨を主張し、甲第七号証、同第九号証、同第十六号証には右主張と符節を合する記載がある。しかしながら右甲号各証中申請人等主張の団体交渉を前提とし右(イ)、(ロ)及び(ニ)の各条項に右団体交渉中の暫定措置たる内容を与えている記載部分竝びに右(ヘ)の条項に右団体交渉による紛争解決の前提条件たる趣旨を含めたものと解される限り同条項に関する記載部分は前顕各疏明に照して、にわかに採用し難い。(従つて右協定により紛争が終局的に解決したとなした前記認定に対する反対疏明とはなり得ないのである。)のみならず右(ロ)の条項に関する記載部分は右に指摘した点を度外視しても右(ニ)の条項に関する記載部分と両立し得ないこと(なぜならば右(ロ)の条項に従い会社の車検、キイを第三者たる内山正寄に預託したとすれば特段の事情のない限り右(ニ)の条項のうたう組合員の乗車勤務が事実上不可能になるからである。)竝びに、さきに認定したように会社の車検、キイは右協定妥結と同時に組合から会社に返還された事実に徴し、とうてい採用し得るところではない。しかして又右(ヘ)の条項に関する記載部分は、さきに指摘の趣旨を含めたものではないとしても右条項が組合の解散という重大な問題であると同時に互幸会の存立にも関係する問題たるに拘らず会社提示の解決条件の諾否を議案とした前記認定の関東同盟執行部会議竝びに組合大会において討議され又互幸会の諒解を取付ける等特段の事情の存在したことについてはこれを認むべき疏明がない以上たやすく採用し難いのである。他には申請人等の右主張中右(ロ)及び(ヘ)の条項に関する部分竝びに右に指摘の点につき修正されないままの右(イ)及び(ニ)の条項に関する部分を肯認するに足る疏明はない。

しかして、さきに認定したところでは本件争議は会社が組合の交渉団体たる能力を否定し又その組合員の乗車勤務を拒否する等の差別待遇をなしたことに起因し、かような差別待遇の撤廃を目的として行われ、なお、その継続中において組合が会社の車検、キイにつき終始会社の管理を排してこれを占有し、会社がこれを理由に団体交渉を拒否し、賃金の支払を停止し更にはその責任者として申請人等六名及び春木雅英を警察署に告訴する等の措置に出るという事態が生じたものであるところ、右争議解決のため会社が提示し且つ組合が受諾した協定条件中に(A)組合を結成したこと及びその組合員であることにより不利益取扱をしないという条項(被申請人は右協定中には組合結成の責任を問わないことという条項があつたと主張するだけで組合員たることによる不利益取扱をしないという条項の存在を主張しないが、この点を争う趣旨には解し得ない。)竝びに(B)申請人六名及び春木雅英から会社宛の退職届を提出させるという条項が存したのであるから、右(A)及び(B)の条項が実質上本件協定の基本をなしたものと推認される。

これと対比すれば申請人等主張の前記(ハ)、(ニ)(但し右協定により紛争が終局的に解決したことを前提とする趣旨に修正して)及び(ホ)の各条項は仮にこれが協定中に掲げられたとしても、いずれも争議終結に伴う当然の措置に関するものであることは明らかであつて後に検討すべき右(B)の条項の趣旨を左右するものと考えられないから、この際右(ハ)、(ニ)及び(ホ)の条項の存否の判断は省略する。なお被申請人も右(ハ)及び(ニ)(但し組合員の就労開始に一日の差があるが)の条項につき申請人の主張と合致する主張をなし併せて組合は会社の車検、キイを即時に返還することという条項が存した旨の主張をなすが右主張についても同断である。

問題は前記(B)の条項が申請人等主張の(イ)の条項(但し右協定により紛争が終局的に解決したことを前提とする趣旨に修正して)のような内容すなわち会社の面目を建てるため退職届を見せ証文として内山正寄に預託することという内容であつたか否かである。証人小林望、同金良清一の各証言竝びに申請人川上市郎(第一回)、同山本茂、同遠藤有各本人尋問の結果中には右主張に吻合する供述があるが、もし本件協定の内容が右供述のとおりであつたとすれば組合は右(A)の条項により完全に争議の目的を達したに反し会社は右(B)の条項によつても、なんら得るところがなく前記認定の新聞報道ではないけれども完全な敗北を喫したことになるべき筋合である。しかるに、さきに認定したところによつてみても争議の経過中労使の力関係において会社が一方的譲歩に甘んずべき事情があつたものとは認め難い。のみならず右(B)の条項が会社において組合の行つた車検、キイ保管を違法な争議行為と目し(これは争議中一貫した態度であつた。)これに対する責任追求の趣旨で提示した協定条件であつたことは明らかであて一応名分の成立つところであるから、会社がこれを提示するにあたり自ら、その趣旨につき骨抜をしたと同様な内容を以てするというごときことは他に特段の事情がない限りあり得べくもない事柄である。もつとも、さきに認定のように一方では組合から会社との交渉の委任を受けた関東同盟の小坂副執行委員長及び金良書記長と他方では会社から組合との紛争解決の委任を受けた国自協の寿原会長とは政治的含蓄のある解決をなすべき諒解のもとに協定条件の折衝をなしたものであるところ、もし、その過程で会社側たる国自協の寿原会長から提示された前記(B)の条項が、そのまま申請人六名及び春木雅英の退職に直結するとすれば右七名の者が、さきに認定のように組合の三役を含み又車検、キイの保管についても本来個人的責任の有無、軽重を一応問題とされてもよい筋合であることからしても実も蓋もない仕儀に帰するであろう。しかして、さきに認定したところでは既往において国自協の寿原会長を取締役社長に仰ぐ新宿交通株式会社の労働争議を解決するにあたり寿原社長は違法争議の責任追求のため一部従業員から退職届を徴しながらこれを握り潰した事例があつて関東同盟の小坂副執行委員長から組合の大会において報告され討議の大勢を右条項の受諾に赴かせる契機となつたのであるから右折衝当事者は少くとも、その腹中において新宿交通の場合と同様違法争議の責任追求を建前とする右(B)の条項に従つて提出さるべき退職届についても、なんらか特別の取扱をなすべきことに政治的含蓄を求めたものであることが一応推認されるけれども、その折衝の結果が退職届の取扱に関し申請人等主張のような内容の協定条項に落着くものとは限らないのであつて、この点の必然性が疑わしいことはさきに説示したとおりである。してみると前記証人竝びに本人の供述部分はたやすく採用し得る限りではなく、ここはむしろ前出乙第一号証、同第三十二号証、同第三十九号証、証人寿原正一の証言竝びに被申請会社代表者山岸敬明本人尋問の結果を、さきに認定の政治的折衝の顛末に併せ考えて、国自協の寿原会長は関東同盟の小坂副執行委員長及び金良書記長に会社側の協定条件を提示するにあたり前記(B)の条項に関しては端的に前記七名の者から退職届を会社に提出させることという内容を以てするとともに右退職届の取扱につき一任を求め、この点に含みがあることを匂わせ小坂副執行委員長等は右退職届が提出されても新宿交通の例のように寿原会長の裁量により不問に付される結果となるものと推量し協定条件の折衝には、それ以上を望まなかつたものと認めるのが相当である。しかして、さきに認定のようにその後右協定条件につき組合から会社に対し受諾の意思表示がなされたのであるから、これが協定の内容として確定され右(B)の条項により会社は前記七名の者からその意思に基いて退職届が提出された場合退職申出の受領者たる地位を取得し従つてその諾否の決定は一応会社の自由に帰し、ただ国自協の寿原会長(本件紛争解決につき会社の委任に基き全権を有したことは、さきに認定のとおりである)の政治的考慮により制限を受くべきこと、すなわち寿原会長の腹一つで新宿交通の事例にみられるように退職届が握り潰される結果もあり得ることに相成つたものと解する外はない。証人小林望、同金良清一の各証言中には(a)寿原会長は内山正寄を通じて協定条件を示すにあたり新宿交通の労働争議の場合と同様退職届が提出されても退職に付する取扱をしない旨をあらかじめ約諾したので(b)組合大会においては右約束履行の確実性が討議されたが結局寿原会長の人柄を信用する外はないことに決した旨の供述があるが、少くとも右(a)の供述部分はさきに説示した筋合から、やはり採用し難いところである。あるいは内山正寄が協定条件を取次ぐにあたり争議斡旋者として解決を図るため、ことさらに右供述のような退職届の取扱を仄めかしたことも考えられないではないが、さきに認定のように、その後会社側提示の協定条件が関東同盟の執行部会議竝びに組合大会の討議にかけられるまでの間に関東同盟の小坂副執行委員長等は寿原会長と右協定条件の再確認を行つたのであるから、その際寿原会長から右供述のような約諾が確認されたなら格別、さもない限り右内山の口説はいわゆる仲人口にすぎないことに帰するものといわなければならない。のみならず証人寿原正一の証言及び前出乙第三十二号証によると寿原会長は小坂副執行委員長に対し右協定条件の再確認の際に申請人六名及び春木雅英から退職届の提出を要求するのは同人等の車検及びキイ奪取行為についての問責のためであることを言明したことが認められるのである。しかし右(b)の点については関東同盟竝びに組合の執行部には前顕証人小林望、同金良清一の各証言によつても一応認められるように争議の客観情勢上早期妥結を望む気運があつたことからすれば、寿原会長が実際には右(a)のような約諾をしたのでなくとも関東同盟竝びに組合の執行部が新宿交通の事例に鑑み寿原会長が退職届を不問に付する公算を大とみて、この点を強調した結果右供述にあるような討議がなされたということも一応ありそうに思えるが、さきに認定のように、その後組合側から会社側になされた協定条件受諾の回答において又は正式の協定妥結の機会において右討議の内容となつた点につき特に念を押して確める等特段の事情がない限り組合の意思決定に至つた内部的事情はともあれ、前記協定中退職届の提出に関する各項が証人小林望及び同金良正一の前記証言にかかるような趣旨のものとして成立したものとは解するに足りない。なお被申請人は前記(A)、(B)の基本的条項に附帯し会社は退職届を提出すべき申請人六名及び春木雅英の就労をその退職に関する処置決定まで差止め組合はこれを承認すること、協定内容は公表しないことという条項が存した旨を主張するが乙第一号証、同第三十二号証、同第三十九号証、証人寿原正一の証言竝びに被申請会社代表者山岸敬明本人尋問の結果中右主張に符合する記載又は供述部分は、にわかに採用し難く他には右主張を肯認するに足る疏明はない。しかし、それだからといつて右(B)の条項の趣旨及び内容に関する前記認定が左右されるものではない。又申請人等主張の前記(ト)の条項は仮に存在したとしてもこれ亦右認定の妨げとはならないからその存否の判断をなすに及ばない。さようにみて来ると、さきに認定した事実中協定妥結に際し車検、キイが直ちに会社に返還されたに反し申請人六名及び春木雅英から会社宛の退職届が内山正寄に交付されたに止まり直接会社又は国自協の寿原会長に手交されなかつたことは一見奇異に観ぜられるとはいえ車検、キイは即刻会社の操業に必要があつたのに対し退職届については寿原会長において後になんらか特別の配慮を加えることが予定されていた以上退職として取扱うにしても日時があることであるし場合によつては不問に付されることもあり得たのであり、且つ証人寿原正一の証言及び前顕乙第三十二号証によれば、退職届は右内山が争議の斡旋者として寿原会長のため一時預つたものと認められるのであるから、なんら怪しむに足りないのである。しかして他には右協定内容に関する前記認定を覆して申請人等の主張を肯認するに足る疏明はない。

ところで、さきに認定のように申請人等は協定条件の諾否が討議された組合大会においてその受諾決議のあつた直後その場で退職届を作成して正式の協定妥結に赴く申請人川上市郎に託したものであり、しかも右大会において協定条件特に申請人等による退職届の提出に関する条項について上述のような趣旨のものとして討議がなされ、申請人等も逐一その経過を承知、討議していたものである以上申請人等が右協定の趣旨を体して会社宛の退職届を提出したことが申請人等主張のように会社に対する見せ証文の意味しかなかつたもので退職の意思を表示するものでなかつたとか、退職の真意に基くものでなかつたものであるとか、いうを得ないことは明らかである。

従つて申請人等のこの点の主張はすべて理由がなく、申請人等が退職届の提出を以てなした退職の申込は会社において前記協定妥結に際し右退職届提出の事実を確認し右申込を了知すると同時に会社に対して申込たる効力を生じたものといわなければならない。

四、しかして前出乙第三十一号証、同第三十九号証、証人渕上義一の証言により成立の真正を認める乙第三十八号証竝びに右証言、被申請会社代表者山岸敬明本人尋問の結果により成立の真正を認める乙第三十七号証竝びに右本人尋問の結果によれば国自協の寿原会長は労使間に成立した協定が前記のような内容であつて会社としても一応名分の建つところのものであつたに拘らずさきに争議が会社の全面的敗北に帰した旨の記事竝びに談話が同年八月九日発行の朝刊紙上に掲載されたので痛く憤慨し、もはや申請人等の退職申込につき特別の考慮を払う余地はないとし翌十日会社の山岸社長に対し直ちに申請人等の退職を実現すべき旨を通告したこと、そこで会社の山岸社長は右同日中あるいは寿原会長ともども、あるいは単独で申請人川上市郎、同遠藤有に対し且つ同人等を通じてその余の申請人等に対し、さきになされた退職申込を承諾する旨を申渡したことが一応認められ右認定に牴触する甲第八号証の記載部分、申請人川上市郎(但し第一、二回とも)、同遠藤有の各供述部分は、にわかに採用し難く他に右認定動かすに足る疏明はない。

五  次に申請人等は右退職の合意を以て会社の不当労働行為である旨を主張する。しかしながら、さきに認定した事実に基いて考えれば会社が本件紛争解決の協定条件の折衝中その一項として申請人等の退職届に関する前記(B)の条項を提示したのは組合が争議中会社の管理を排して車検、キイを保管したことを違法な争議行為と目し、これに対する責任追求の趣旨であつたものであるが右争議行為が違法たることは特別の見解に立たない限り一般に認められたところであつて、この点の会社の判断は正当であつたものというべきであると同時に会社が終始車検、キイの返還を要求したのに組合が応じなかつたことからすればその情状においても会社が右争議行為を理由にその責任者からの退職届の提出を求めてもあながち不当とは考えられない。もつとも会社がその責任者と判断した申請人六名及び春木雅英につき各別に個人的責任の有無、程度を調査すれば、あるいは退職届の提出に値するか否か問題とすべき点があつたかも知れないが、この点については組合が前記(A)の条項を獲得するのと引換に、あえて要求することもなく一律に退職届の提出をなすべく承認し且つ当該本人等もその点に異議を挾まなかつたのであるから、仮に退職届の提出者の中に過酷にわたるものが存在したとしても他に特段の事情がない限り、その不当なことの責を会社に帰するのは必ずしも妥当といい難い。しかして組合が受諾した右協定条件に従い申請人等からなされた退職の申込に対し会社が承諾の意思表示をなしたことは本来その間に諾否を裁量する余地があつたとはいえ右協定上許された措置にすぎないから、これを以て不当となすべきいわれはない。してみると、さきに認定したとこからすれば会社は争議開始前から争議中にかけて組合を嫌忌したことが窺われないではないけれども会社が組合と協定をなすことにより申請人等に退職届を提出させ次でこれに対する承諾の通告をなしたこと自体に関する限り組合の組合員であること又は正当な組合活動をなしたことを以て支配的原因ないし動機としたものとは認め難く結局申請人等のこの点の主張は排斥を免れない。

六、さすれば申請人等と会社との間の雇傭関係は退職の合意が有効に成立したことにより同年八月十日限り終了したものといわなければならないから、右雇傭関係の存続を前提とする申請人等の本件仮処分申請は被保全権利の存在につきその疏明が得られなかつたことに帰着しその疏明の欠缺を補うのに保証を以てすることを許すべき案件ではないと考えられる以上その余の判断をなすまでもなく失当として却下する外はない。

よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 桑原正憲 駒田駿太郎 北川弘治)

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